2025.05.24
プロフェッショナルマインド
「矢印を自分に向ける」という言葉は、自己成長や成果創出の場面でしばしば語られる考え方です。
しかし、この言葉が持つ意味は単純な自己責任論ではありません。本記事では、中国古典に通じる自己変革の視点をベースに、この言葉の本質とその実践、さらには注意点について5つの章で掘り下げていきます。
「矢印を自分に向ける」という言葉を耳にしたことがある人は多いかもしれません。これは、物事がうまくいかないときに他人や環境のせいにするのではなく、「自分は何ができたか」「自分はどう変わるべきか」と、自らに原因や改善の余地を見出そうとする姿勢を指します。
こうした考え方は決して新しいものではありません。古典と呼ばれる書物の中にも、同様の教えが数多く見受けられます。たとえば、中国の古典である『論語』や『菜根譚』、『言志四録』などには、自己の内面に問いを立て、己を律し、変革していく姿勢の重要性が繰り返し説かれています。
実際に、古典を学び実践しているビジネスリーダーの多くが、成果を他責で捉えず「自分に何ができるか」と常に問い続けています。環境が不安定な時代だからこそ、自分を起点に物事を変える姿勢が一層重要になっているのです。
私たちは日常の中で、無意識に他責思考に陥りがちです。しかし、その矢印を自分に向けることで、問題に対する視点が180度変わります。たとえば、「上司の指示が曖昧だ」と思う代わりに、「私はどう確認すればよかったか」と問い直すことで、次の行動が生まれます。このような転換は、自己否定ではなく“主導権の取り戻し”です。
リーダーやマネージャーであれば、自分の行動ひとつでチームの状態が変わることを実感しているはずです。だからこそ、「私は何ができるか」と考え続けることが大きな成果へとつながります。
一方で、「矢印を自分に向ける」ことには注意も必要です。私自身、過剰に自責の念を強めてしまい、思考が停止した経験があります。「どうせ自分はダメなんだ」といった極端な思考が積み重なると、前に進む力が削がれてしまいます。特に責任感が強い人ほど、自己内省によって行動不能に陥るリスクがあります。
勉強会でこの話を共有した際には、強く共感する層と、まったく理解できないという層に分かれました。この違いは、「矢印の受け止め方」が人によって大きく異なることを示しています。
私にとって「矢印を自分に向ける」とは、「成果に責任を持つ」という姿勢そのものです。これは、すべてを一人で抱えることではなく、「成果を出すために自分にできることは何か」を考え、必要に応じて周囲の力も借りていくことです。
「自分がここまでやらないといけないのか」と思うこともありますが、その気持ちと向き合いながら前に進むことが、本当の意味での“責任を持つ”ということなのだと思います。
理想論ではなく、現実的に成果に向かうための自己起点の思考。それが「矢印を自分に向ける」ことの実践的な意味なのです。
「矢印を自分に向ける」という考え方は、状況を他責にせず、自分に主導権を取り戻す行為です。しかしそれは、自分を責めるためではなく、行動の可能性を広げるための問いです。
成果に向かって歩む中で、「誰かのせいにしたい」という感情と、「自分が何を変えられるか」という自問を繰り返すことになるでしょう。そのとき、柔軟に矢印を向ける先を見極めながら、成果の実現に向けた選択と行動をとることが重要になります。
すべてを自分で背負うのではなく、自らの役割と可能性に向き合う。そんな姿勢を持てたとき、「矢印を自分に向ける」という言葉は、あなたにとって希望の起点になるはずです。